まさかという坂
 

■ 2004年夏に起こったまさか#4

2004年夏ガン発覚から2ヶ月足らずのある日。
携帯に連絡が入った、涙声の母親からの電話だった。
叔父が亡くなり今日通夜が行われ、明日葬儀があるから着てくれとのことだった。
まさかだった。ショックだった。ただただショックだった。
手術はうまくいったと聞かされていたし、術後一ヶ月チョットしか経っていなかっただけに信じられなかった。
母は通夜から私は葬儀から参加した。
叔父の家族の落胆は大きかったが、なかでも娘さんは酷かった、それまでガンであることを知らされていなかったのだから無理もない。
彼女にとって叔父の突然の死は、それこそまさかであり起こり得ない事だったのだから。
叔父の家族は手術を後悔していた。
「こんなことなら余命を家族での思い出作りに当てたかった・・・。」そうだ。
私たちはその言葉を聴いてただうなずくだけだった。
その後、叔父の家族たちは、傷を癒す事が出来ずに財産すべて投げ打って出家の道に入っていく、何かを求めるように。
葬儀の後、叔父の最後の言葉を聞いた、「悔しい」だったそうだ。
全てがこれからだっただけに、この最後の言葉はすごく重い。

幼少時代苦労をし、青年時代にその幼少時代を取り戻すように努力しいわば勝ち組となった。
それは並大抵の努力ではなかったはずだ。
中年時代幾多の困難を乗り越えてきた。
再生中の会社もうまく行き始め、一人娘も独立、新しい家も手にいれ、幸せな老後を送るはずだった。
そう彼の人生は、下り坂から始まり上り坂を一所懸命登ってきた。
もうすぐそこに頂が見えていた、そこに突然まさかという坂が現れ、人生の終止符を打ってしまう。
享年54歳であった。
人生を終えるには、あまりにも早い年齢ではないか。
唯一救いを求めるならば、別の世界で実母と楽しく暮らしているだろうと考えるときである。

叔父は私たちに教訓として残してくれたものがある。
人生上り下りはあるものだが、突然の「まさかに備えよ」だったと私は思っている。

私は文章が上手いほうではありませんが、この出来事が、これを読んだ人に何かしらの役に立てばよいと思い書きました。
最後までこれを観ていただいてありがとうございます。

最後にこの場を借りて叔父の冥福を祈ります。
お疲れ様でした。